それでもぼくは朝青龍に愛をおくる

ぼくが小学生の頃、銀行員の父は、つてがあったのだろう、よく相撲を観に両国の国技館へ連れていってくれた。目黒の家の近くの大岡山にも、駅前の広場に、小さな小屋掛けの相撲の巡業が毎年来た。大関や横綱は来なかったけれど、間近で相撲がみられて楽しかった。
  年以上前の玉錦や双葉山、男女川、清水川といった相撲の黄金時代だ。まだプロ野球もサッカーもなかったから、こども同士もよく相撲を取って遊んだ。無口で二丁投げやうっちゃりを得意としたぼくのあだなは、双葉山だった。
 戦後、大学を卒業してからは、油絵や人形劇や影絵劇に夢中で、モダニズムに傾倒していたので、日本的な相撲は、次第にぼくの視野から遠ざかっていった。相撲は国技とか伝統にこだわって、神がかったりしているところが、ぼくにはなじめなかった。
 ところが、最近、相撲に興味がもどってきた。朝青龍の登場だ。彼を見ていると、従来の、型にはめられた日本の力士にはない、自然児のような奔放さがあって、やはり遊牧民族の民族性かも知れないが、新しい風を感じる。いま、相撲界で外国勢がどんどん活躍しはじめているのは、単なる偶然ではなく、日本だけの伝統や慣習だけにこだわっていては、限界に来ているということだろう。
 今回の朝青龍のサッカー騒動をみても、小錦のときも感じたけれど、外国人力士ということで、一つの事象を悪い方向に焦点を合わせている気がする。
 なぜ、日本の力士が駄目で、朝青龍があれだけ強いのか、優勝できるのか、それを検証しないで、品格がないとかいって、溜飲をさげている気がする。
 ぼくなんかは、発想の自由さ、表現の自然さの中に、つよく共感を感じる。
 これからの時代は、もっと目を世界に向けて、日本の相撲道ではなく、世界の相撲道として世界中の人々の力と頭脳を尊重し、集めてつくってゆくべきだろう。
 ちがった民族や環境や思想の違いをのりこえて、共通の価値観をつくりあげてゆくには、いちばん大切なのは、その根底に愛があることだと思う。こんどの騒動を見ていて、一体、朝青龍への愛はどこへ消えていってしまったんだろうと思う。
 長年、一人横綱で相撲界を支え、 回の優勝をしたのは、なんの考えもなく、品格もない人間が、そんな簡単に出来ることなんだろうか。
 ぼくは、あのサッカーをしている朝青龍のテレビを見て、朝青龍の相撲はサッカーに通じるんだとはじめて納得した。
 ぼくもサッカーは大好きだ。サッカーこそ、一秒の隙もないスポーツはない。走りながら、敵、味方の動きをキャッチし、瞬時に動く。一瞬のためらいもなく動いてゆく、偶然のような、必然のゴール、まさに神がかりのようなゴール、それも、古い相撲的神がかりではなく、近代的、モダンな神がかりだ。
 朝青龍は相撲の中にサッカー的感覚をいち早く取り入れつかんでいる人だと思った。
 あのサッカーの中田英寿選手と親しいという。砲丸投げの室伏広治選手とも親交があると聞く。そういった異種スポーツの名選手との出合いの中に何かをつかんでいるんだなと思った。
 サッカーといえば、サッカー評論家の松木安太郎さんを思い出す。昔ぼくが、ケロヨン時代に、彼は幼稚園児で、ぼくの作ったぬいぐるみ人形の中へ入り、ぼくの演出プランの先を読み、観客の反応を先取りして、天才的な演技とギャグを連発して、ぼくを歓喜させた。だからこそ、後年サッカーの名選手、名監督になれたんだと思っている。そういえばケロヨンはどこか、朝青龍に似ているところがあるから、ぼくは好きなのかも知れない。
 もっと親方も、中田や室伏のような選手をよんで、日本の力士たちに、話を聞かせたり、コーチをさせたりする発想をするとよいと思う。
 画家の中でぼくが一番尊敬する藤田嗣治さんも、戦争画を描いたことであまりのバッシングを受け日本を去り、フランスに帰化してしまったように、朝青龍も日本が嫌になり永久に去ることのないように心から願っている。
 ぼくは、朝青龍へのこのぼくの気持ちと愛をこめて、一枚の影絵をつくった。やんちゃにして、堂々とした朝青龍の土俵入りの姿を表現したつもりだ。
 太刀持ちと露はらいに、ぼくの猫ちゃんを描いたのも、朝青龍ならばゆるしてくれるだろう。
   
 

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